Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
【チャプター】00:00 オープニング01:41 九州の学生の間では男色が普通だった?04:25 硬派と賤の苧環06:53 寄宿舎での蛮行09:59 川端康成の男色エピソード12:39 稚児を巡って殺人事件!?18:33 大杉栄の男色エピソード21:16 エンディング
鴎外が襲われそうになったことを父親に訴えると、「うむ、そのようなやつらがおる。気を付けねばならん」と驚かれもせず当然のように言われたエピソードが好き
失礼します。興味からうかがうのですがなぜ鴎外が襲われそうになったことをお父様に訴えたのですか?
@@user-546f これは正確には自伝的小説「ヰタ・セクスアリス」の一節で十一歳ころの出来事ですが、訴えたとあるだけでその理由は書いていませんでした
マジ消えて良かった文化
ありましたね、その場面。(ヰタ・セクスアリスに)男色趣味の学生は硬派、異性愛(女性が好き)な学生は軟派と呼ばれ、軟派の方が日陰者扱いで、硬派に対しコソコソしているというのも、読んで驚きましたっけ。
調べるまでに至った経緯がクソ浅いのに調べた内容はクソ深いの大好き
存在するのかしないのか、やおい穴の謎と世界(自分的にはやおいといえば矢追純一だけど)は深いwww。
クソしか出ない穴にまつわる話ですしね。。
男色文化は戦国や蔭間の紹介が殆どの中、明治以降の紹介はとても斬新でした。知らないエピソードも多く、大変勉強になりました。
明治になって西洋人が男色を「人間のすることではない」と否定したのに今更になって日本に対して同性愛の人権を認めろとか上から目線で説教してくるの偉そうで嫌い。
カトリックなどのキリスト教的観念が強かった時代と、人権意識が強くなった現代で言うことが変わるのは当たり前です。
イエスズ会なんて日本の戦国時代には近年話題になったことをやってたのに?😂まぢおもろ😂
同感です。昨年、カタールで開催のサッカー・ワールドカップでも西洋人(欧米)が猛抗議しました。その際、FIFA幹部の1人が「まず、欧米が謝罪すべき」という主旨の発言をしました。発言の真意はすぐ読み取れました。
一神教系、宗主国は相手に指図しがち、日本みたく他国の価値観を取り入れようとはしないしね、
キリスト教圏は昔からそう
川端康成のエピソードは、彼の壮絶な生育歴、孤独と共に想いを巡らすと、また感触が違ってくる…😢幼少期の孤独が美意識を磨いたんだよな
「男色は流行した」と説明されていますが、そうではなく「男色は男としての嗜み」であり普通のことでした。つまり若い男性にとっては「青春の門」で、その門をくぐって大人になれば普通に女性と結婚しています。また本編で、イメージ画像として、ヒゲ面の外人男性のゲイ画像が使用されていますが、男色とゲイとはまた違ったものとして認識されるべきです。さらに、事件に結びついたエピソードを紹介されていますが、男女関係でも事件や事故は多いですよね。同じようなものです。
江戸時代の男娼は男女関係なく愛される存在だったから、決して男だけを対象としたものではなかったからね。大奥好きな人には有名だけど、絵島事件とか調べたらどれほど男娼が江戸時代の民草に重宝されていたかがわかる。
ゲイというよりバイだよね
アメリカ人ですが、gayというのは英語のニュアンスでは日本語のオネエ、に近いです
@@maymeg6777じゃあ日本のゲイはどういう意味?おねえみたいな人ばかりではないんだけどゲイは トラスジェンダーは日本ではなんだ?知ったかか?
@@みさき-x7s2t昔のゲイやバイの人がオープンできていただけだと思うけど笑 lgbtの割合は13人に1人と言われていて一定数どの時代にも普遍的に存在するんですよね 勿論昔の異性愛者は男としなかったと思うし 貴方がバイじゃないかぎり男としたいなんて思わないですよね?時代とか関係ないですよ ただ貴方が日本の昔の歴史をLGBTと結びつけたくないだけだと思います 昔から日本にはLGBTはありました それはどの国もどの時代にも 日本はマイノリティの方々を理解し認めていたが、キリスト教や西洋の差別の文化がきてタブーとなり、差別し始めたんです 昔の日本人は認めていたものを西洋人の思考により反対するおじさん達は皮肉ですよね 日本を守る?貴方達が西洋の考えに染まっているだけ
豊臣秀吉は衆道が全く理解出来ず真剣に悩んでいたそうですよ
有名な戦国武将で男色をしなかったのは秀吉だけ。織田信長はそのことを本気で心配し徳川家康に秀吉に男色を教えてくれるよう頼んだとか。
秀吉は武家の出身ではないから男色ではないという話を聞いたことあります
@@敷島の道路有名って、サンプル何人ぐらいでしょうか…
@@大間薫夫諸説なかったっけ?農民の出だったり地元の豪族だったり親が足軽だったり
BL経験がある鴎外の娘がのちに至高のBL小説を書く事になるとは不思議な巡り合わせ。
枯葉の寝床 日曜日に僕は行かない
恋人たちの森
ああ、森茉莉さんの小説は耽美的で腐女子のバイブルでした😍
森茉莉は、もっと評価されるべきやわ!彼女は,天才ですし。
女性になびかず、男色を嗜むことが「硬派」で「男らしい」…女性に興味を抱くのは上流階級の出ではないという認識でもあったのか。
昔は男色(男同士)、エス(女同士)が許されていたのに現代は許されていないの不思議よね。
キリスト教が入ってきて弾圧されたからね
本当、キリスト教って許さないのよね、厳しい
現代の男同士を毛嫌いする人にキリスト教関係なくね?
@@もちだもちもち-i8u 西洋の価値観はキリスト教がベース、それをインストールした日本の価値観には必然的にキリスト教的な要素が多くなっちゃうんだと思う、意識しなくともね
許されていない訳ではないが、好まない人は多くなった
川端康成が学んだのは「茨城中学」ではなく大阪の「茨木中学」(現在の大阪府立茨木高校)。若衆宿は全国的にあり薩摩だけではなく若衆宿=男色の場ではない。親など大人の目を気にせず若者が気軽に交流する場所。現代の深夜のファミレスや喫茶店で若者がダベってるのに近い。男色が「流行」というより性生活の一部として普通にあったというべき。当時の学生で男色もするけど遊郭で女遊びをする学生も珍しくなかった。そして男色を経験した男性のほとんどが女性と結婚し子どもも作った。
かなりフラットに男色を紹介していて好感を持ちました。当時は不倫やAVなど逆に考えられなかったでしょうが、日本人の性というのは世間が許すなら割と何でもできてしまうものだなと感じます。
手が込んだ、非常に完成度の高い作品に脱帽です。歴史上の写真が多様されているところや字幕、引用参考文献、話のまとめ方に至るまで教養講座を見ているようで素晴らしかったです。大正時代までの男色文化は、キリスト教において男色が禁止されていたにもかかわらず横行していた、イギリスの寄宿学校のそれと似たところがあるように思いました。また、男女が隔離されたり男尊女卑が根底にある文化で男色の傾向が強いと仮定すると、男色が禁じられているイスラム教でも実は起こっていたるするのかな、と思いました。ありがとうございます😃。
イスラム教でももちろんありましたよ。オスマントルコが強大な力を持っていた時代は各地の小国から君主の子供達主に少年達を人質として集めて居ました。その少年の中に美少年がいれば稚児として可愛がって居ました。詳しくはドラキュラの元になったワラキアとオスマントルコの歴史を調べれば出て来ますよ🖐️
「平成、令和には男色の漫画が流行り世の腐女子が夢中になっていました。」って、未来で言われるようになるのかしらん。
昭和後期には腐女子はいたそうですよ
既婚者だしノンケだけど結構男同士で楽しんでるけどこんな感じかな独特の楽しさがある
大変よく調べています。明治時代以降の男色についての文壇があまりないので、貴重な動画になると思います。できればこのあとの昭和初期〜戦時中〜終戦直後の男色文化も続編で作成していただきたい。
木下恵介監督も作品は名作が沢山ありますが、俳優さん(若い男優)を好んでいたのは有名です。昭和20~30年代の松竹の男優は美青年ばかり。
(誤)茨城→(正)茨木川端康成は大阪の茨木市の学校です。川端康成館もあります。
素晴らしい動画でした。資料も少ないでしょうし、作成は大変だったと思われます。ありがとうございました。
明治に入ったら西洋化でキリスト文化入ってきて男色はなくなったみたいな解説が多かったのでびっくりしてますそして今と変わらないような内容のBL本が既にその時代にあったことにも驚いてます
正確に言いますと、一応一度は欧米のソドミー法を真似、鶏姦律条例というの(肛門性交の禁止例)が発令されたこともあったんですよ(明治6年)。でも「よく考えたら他人の房事に口出しするとか馬鹿馬鹿しいw」と思ったのか、何となくフワッと消えてましたw明治13年に刑法が改められた時には、もうそれはカット。当然、その間、一人の逮捕者もいないままでしたw🤗
男同士女同士どっちでもいいけど未成年に手を出すのだけはやめよう😓法律はまもろう😣
@user-te7bz5hm3y 今も50歳はオジサンだよ😊昔は50歳はお爺さんかな〜(笑)
全くそのとおり。日本でも海外でも小児性愛は犯罪です!
未成年というか、同意無しは、法がなくても男女問わずやめてくれよ!と思います😥(昔の未成年の年齢解りませんし、14~15歳位で結婚する社会や時代もあったりするし…)最後の大杉栄なんか「死んでよかった」「何十人の男女が、内心ザマアミロと拍手喝采しただろうか」としか思えない。政治的にどうの以前に凶悪強姦魔。イケメンだからそれがなんだと言いたくなります🤮
ロリ最高🤪🤪🤪🤪
男女もね。同意ないのとか、出来ない相手との性行為はやめとこって話だよ。
ヰタ・セクスアリスは7:39 男色小説ではなく、作者の性的生活を描いたもの
自分はそっちなのだけど。実際ゲイほど同性愛の歴史を知らない。特に明治以降の男色に関する話を知ってるゲイはほぼ居ない。とても勉強になりました。ぼくが知ってる明治の話に、南方熊楠が東京の予備校時代に寮生から手をどきされて、硬派や同性愛に目覚めて、地元に帰った時に友達やその弟と寝たとかその後イギリス留学中にオスカーワイルド事件に遭遇し、ショックで突如女性好きになった話とか好きです。彼はかなり変わった人で日記を毎日詳細に書く人だからそんな記録が残っているらしいです。
取り敢えず最後の大杉栄がむごたらしい最期を迎えたようで何より。
BL本が大昔からあったなんてたまげたなぁ
鹿児島の方言に『よかにせ(意味:男前、美青年)』という言葉がありますが、ここから来てたんですね…笑
「今ではタブー視されがちな男色」てのがそもそも時代に乗り遅れ始めている
中学5年生21歳。すごい響き
最近BL漫画を読むようになったのでからの調べる熱量が凄いwww
そういえば昔、鎌倉のうたの中に「しずのおだまき 繰り返し かえせし人をしのびつつ」とあったのを意味を知らずずっと口ずさんでいました。
川端さん百合小説を書いていたのは知っていたが、まさかBLの方も手出してくれていたとは
民族学者・国文学者の折口信夫先生も同性愛で有名。
地元の鹿児島がそんな場所だったなんて… これイカツイ親戚に話してリアクション見たい😂
10:20 関東の茨城中学校じゃないよ。関西の茨木中学校だ。川端は関西人だからね。
北杜夫によると戦前の旧制高校の寮でも、それらしい行動がなされていたと書かれています。流行と言うよりその学校の伝統として残っていたように思います。
青春記にそんな記述がありますね…
江戸時代にはあったとは知っていましたがそれが昭和初期まで続いていたとは驚きでした。
もう少し自分の性的指向をオープンにできてそれが当たり前の事として受け入れられるようになれば良いと思うけど、男性達にとっては歴史の中でなんだかんだ今が一番良い状況だと思うし、これからもっと自由に楽になっていくと思う。人によっては同性の上級生、同級生からも襲われる危険が常にある日常って怖いし、いつ自分がその状況になるのかわからないっていうのも嫌だな。男の嗜みと称して同性への性犯罪が容認されていたり見逃されるような状況って普通に怖い。女を目で追うだけでお前は男らしくないとレッテル貼りされる事も不自然。性別問わず自分の意思のもとで自分の好きになった人と一緒になれるのが一番幸せだと思う。
寮生活が監獄並みの危険性あって怖かったです。普通に口説いてそうなるならともかく、暴力や刃傷沙汰とか…。
男性寮?怖い寮生活でしたね😱💦男性の10代〜20代前半ってそうなりやすい傾向にありますよね。そこに+同性間での性的なものが当たり前の時代を考えると今ですらそんな風に怖いのにこの時代を考えるとゾッとしました。
「おなごを目で追うなどけしからん軟弱者」って、つまり訳すると「女なんて見ないでよっ○○キュンが汚れちゃうよおぉ〜!!モホォ」まあ、女性に対する性犯罪抑止になってた気がする穴に突っ込まれてるし。ジャニー喜多川が有罪にならない時代
すごく…嬉しいです…
鹿児島出身の男性、70歳以上の老人、寮生学校の男子校出身者に見てもらいたい動画ですね。
最近男色を知った blだと思えば日本史学ぶの楽しく感じるwww
100年後は「令和時代に日本各地で男色が流行していたことをご存じですか?」とか言われてそう。
ジャニーズ問題真っ最中。タイムリー過ぎる。
こういう歴史があるのに、何故、昨今は大騒ぎされるのだろう。
西洋の価値観が入ってきた反動じゃないですかね…同性愛に近いほどホモフォビアを起こしやすいのだとか聞いたことあります
ネットで自分の人生から目を逸らすために誹謗中傷したくて物申したい人が散見されるだけだよ 特に陰キャ
歴史から学んで今が在るからではないでしょうか?
なんだこれは…たまげたなぁ…
武田信玄もお気に入りの小姓がいたけど他の小姓と浮気してしまい、その時の謝罪の言い訳お手紙が発見されてますね。kawaii❤
子供が12人もいた信玄…妻たちも小姓の存在を当たり前にしてる時代
「わいさっきおいらが着替えちょっ時、チラチラ見ちょったじゃろ」
「見てないどす…」
「嗜み」っていうけど結局性欲発散も多いよねあ、この手の話大好物ですよ
台記、雨月物語、好色五人女などなど記録や小説に残っているだけでも日本では平安時代から衆道は普通でした。江戸時代は藩によっては衆道禁止の藩(会津藩)がありましたが、その理由は刃傷沙汰が多発するから。鍵谷の辻の決闘の原因も衆道のもつれが原因ですし。
白蓮事件の時も大騒ぎになった理由として、柳原伯爵と白蓮が大正天皇のいとこにあたる、ということには触れておくべきだと思いました。
キリスト教が入ってきて日本の男色は抑圧されたと聞いた覚えがある
いいえ、皆さんキリスト教のせいにされる様ですが「男色ゆる百合含むLGBTをタブー視する中国韓国人やナチスドイツの儒教思想及び優生学」を真に受けた弊害です・平安時代に大陸を通して「異性愛異性婚が当たり前でそれ以外の恋愛がタブー視する風潮や日本人の国民性を形成した論語及び朱子学」の儒教思想が浸透(男色、ゆる百合のみ昭和初期まで黙認されていた)・戦時中〜戦後に、ナチスドイツの優生学(同性愛はけしからん、避妊手術の対象)的な学問が常識になってから男色、ゆる百合すらだらしない事と世間から認識される様になってから白い目で見られる様になりLGBTの人達が生きにくい世の中になった(未だに同性婚制度が制定されない、いじめと誹謗中傷の的になるのが何よりの証拠)
鴎外のケースは学生同士ですね。今だと中1と高3あるいは大学生年代が、同じ学び舎で学んでいた状況です。硬派な上級生からの、欲望の入り混じった一方的•独善的愛情とあるべき倫理観の相剋。けど、乱暴なやり方を止めようとする良心的な先輩もまたそれなりにちゃんといるのが、見方によっては今よりもずっと良質でもある。明治時代の学生の欲望と高い倫理観が同時に垣間見えます。ちなみに、暴力的リンチで殺されたり、自殺に追い込まれたりするような、今の学校だって十分怖い。かたや、今の学生の倫理観はどうだろう。むろん、鴎外みたいに、護身用にナイフを持ち歩きたくなるような時もあるかもしれない。
つまりあれか昔は普通に学校付近で制服とか着物着てその上に帽子かぶってるスタイルの美少年同士の男色が見れたってこと....?最高では...?
その昔、QJで夏目漱石の坊っちゃんがBLモノだとの考察がありました。
薩摩の男色の原因?や気風は、古代ギリシャや古代中国のそれと似ていますね。面白いです。学生間のいざこざ、想像以上に凶暴で野蛮で驚いたけど、妊娠した傷物になったと騒ぎになってしまう女性相手とでは重さが違ったのかな。と、思っていたら後半で女性相手にも容赦なし人物出てきた。まあ、性格ですかね。
現代なら単なるゴーカン魔やんけと思うけど、夜這いも当たり前の時代でしたもんね。昔のイスラム社会でも美少年に化粧をして華やかな衣装を着せ、腰を激しく振るダンスを踊らせてその後···という世界が一部にあって問題視されていたようです。
かつて、日本全国にあった暗闇祭り。戦前や戦後しばらくは、町の明かりを全て落として真っ暗な中、若い男達は、女装をして着飾ってでかけたり、誰彼構わず手を出しまくったりしてたそうです。けど、本物の女性は、あえて好奇心の強い人はともかく、隠れていたのでしょうか。しかしまるで、現代の同性愛者のクルージング場みたいですね。普段は犯罪とされる事でも、お祭りの日の夜だけは、神社の境内では罪に問われない。そういう不文律もあったのではないかと思います。もっとも、戦後はガラが悪くなるにつれて、女の取り合いをした青年団のグループ同士が日本刀を持って衝突し、刃傷沙汰とかも起きる様になったそうですが。
川端康成が出た中学校は、茨城ではなく、茨木中学校です。
サムネの真ん中の写真は何て調べたらでてきますか!?うつくしい!!
恋文を高校の作文として提出されるの嫌すぎる
英国のイートン校でもそのような事が!ヒュー・グラントの映画に有りますよね
森鷗外のヰダ・セクスアリスは性的生活が描かれた小説ではあるが、決して男色がテーマではない。さらりと記されているだけ。きちんと読んでほしい。
なんと、タイムリーな笑
川端康成の時代に女生徒の間ではエス小説というのが流行し、これで有名だった女流作家吉屋信子は秘書の門馬千代と恋愛関係にあり、添い遂げたらしいので、女性同士の愛にも緩かったんでしょうね。川端康成も「乙女の港」というエス小説を弟子の中里恒子と共に書き上げていますね。宝塚などの少女歌劇団の男役に夢中になる少女達の様子もこれらエス小説には沢山書かれています。同性愛については、正直昔の方が現在より遥かに緩い感じしますね。ただ「本意ではなかった」人も沢山いたでしょう。武者小路実篤も下級生を性的に襲う上級生を何とかせねばと男子寮小説で書いていて、当時でも「同意のない男色」は問題だったのだろうと感じました。また、女性で同意無しの性暴行被害を受けた経験ある身から言いますと、大杉栄は殺されるべくして殺されたに過ぎない人間だと思いました。
九州の方ってまだ男尊女卑が強いって聞きますよね〜実際どうなのか分かりませんが
どんな美少年を見ても生涯を通じて何も感じたことがない自分には異世界の架空の話というくらい信じられない事実でした。
サムネの学生2人イケメンすぎる〜
学生の間で流行る……閉鎖的な寮という環境や先輩後輩の上下関係もあるんだろうけど10代という年齢からしても行きすぎたテストステロンの暴走といった印象を受ける
流行と言われると、流行りみたいに思えて違和感。どっちかと言うと習慣よね
追伸:1960年代〜70年代にかけて実際に連続男色強姦事件がありました。犯人はすでに1980年代半ばに死刑になっています。事件の内容は小中学生の少年を手籠めにして殺してしまうという凶悪事件ですが、犯人は戦時中、陸軍の年少兵で新宿の戸山陸軍軍楽隊に所属していたらしい。軍楽隊は儀仗兵でもあるので美形の男性ばかり集められたらしいのです。この事件犯人が凶悪事件を起こすきっかけは、やはり軍隊内での男色経験から来ているのでは?と推測するのです。くわしい事はわからず・文壇も出ていないのでぜひ調べていただいきたい。
今LGBTQなど性的マイノリティーを守ろう!みたいな活動が多く見られるけれど、日本ってこういう文化があるからか私は、今更何を…??と思っちゃうんですよねぇ…笑とはいえざっくりとしか知らなかったので男色文化をこんなに知れて面白かったです!
日本の男色文化は日本書紀にも出てきますからね
日本のLGBTはキリスト教や欧米の文化が来てからタブーになったんですよね昔の日本人は理解し認めていたものを、欧米の思考に染まり、日本の伝統を守ろうなんて皮肉ですよね😂
@@miyu-jl5kr へー、そんな前からあるんですね!もはや日本人のDNAに刻まれてると言っても過言ではないかもしれませんな!笑
@@はな-n7o7w 宗教って歴史的に見て多くの人たちを統制するためのツールですもんね。そんなツールのせいで、文化を行ったり来たりさせられて…たまったもんじゃないですよね😂元々色んな面で寛容な人種だったろうに…ほんま皮肉です。
いいえキリスト教が伝来する前から・平安時代に大陸を通して「異性愛異性婚が当たり前でそれ以外の恋愛がタブー視する風潮や日本人の国民性を形成した論語及び朱子学」の儒教思想が浸透(男色、ゆる百合のみ昭和初期まで黙認されていた)・戦時中〜戦後に、ナチスドイツの優生学(同性愛はけしからん、避妊手術の対象)的な学問が常識になってから男色、ゆる百合すらだらしない事と世間から認識される様になってから白い目で見られる様になりLGBTの人達が生きにくい世の中になった(未だに同性婚制度が制定されない、いじめと誹謗中傷の的になるのが何よりの証拠)
腐女子ほいほいな腐ったお話は好物です(´・ω・`)
LGBTQなんて今更って感じですね😂
男色と言えばいわゆるオカマのイメージしか有りませんでしたが昔にこんな世界が有ったとは驚きでした。面白いお話ありがとうございます。女学校でも女色みたいな物が有ったのかも気になります。
女学校には「エス」という百合みたいな関係がありました
返信、ありがとうございます。女学校でも同じような事があったんですね。 宝塚なんか表に出せない話有りそうですね😅
@@伸之助-u7k 宝塚は事故がありましたね
@@user-Loverhythm0429 やっぱり、そうですか😂
男らしい男色家もいっぱいいるよ、気づかないだけで
ジャニーさんがこの時代に生まれたら問題なかったんですよね。
大人が小中学生に手出してるからこの時代でもたぶんアウトなのでは?
次は明治時代から昭和時代までのレズ物の紹介する動画を作って下さいどうかお願いします。🙇♀️
吉屋信子の花物語とか瀬戸内寂聴さんの女学生時代の話とかが近代の少女同士のレズビアンの話ですよ。当時の女の子は卒業後、親の決めた相手と結婚するものなので、基本的には学生時代の限られた時間の刹那的な恋愛だったのですが、吉屋信子は卒業後も女学生時代の恋人と歩む道を選んだようです。21世紀の女学校ものは、全部これらの実話を元にした少女小説が土台となっていると思われます。
エス小説(百合小説)作家の吉屋信子は門馬千代という秘書の女性と添い遂げましたね。そちらもなかなかに楽しそうです。また谷崎潤一郎の「卍」なども、少女小説とは違った女性同士の恋愛の官能的な一面を見せてくれますね。
武士の同性愛関係の理屈は古代スパルタのそれと似ているなあ。
慶応の教授、国学院講師の歌人、折口信夫は男色家で弟子や書生の中からパートナーを求め、その気のない弟子を別荘で襲ったそうだ。参考:加藤守雄著 我が師 折口信夫
まさに、三田の色魔。
子供の頃からどっぷりとBLに浸かってだ私にはとても大好きな話でもさぁ、女の事さぁ、下に見るのって腹立つわぁ女のお腹から産まれたのになぁって
女のお腹というより母のお腹だな。母を女としてみるな
@@maymeg6777あんたの母が女だった過去があるから父と営んであなたは産まれたわけだけど……?母を女としてみるな、とは?
人間の価値観は社会的なルールで変わってしまうんだなあ
性被害にあう女性が減るだろうから良いことだ
アニキ〜キクのお礼にバラをあげるよ〜(笑)
ゴールデンカムイで鶴見がモス父上の尻をタオルでバシンしてた部分があってギャグくらいにしか捉えてなかったけど2:03 見て『…アレ?』って宇宙猫状態になった。
自分は断固党だったのか、、多様性の世の中になってきてるから、再び男色が認められる時代にならないかな💜
僧侶が女人禁制だったから稚児を抱いたから常に痔だったとか、寺の病の造りで痔という漢字が成り立ったとか眉唾話は聞いたことある(真偽を調べるほど興味なかった)
そりゃ、「病ダレ」に「寺」と書いて「痔」と読むのは、そのものズバリでしょ!😅
日本書紀にもすでに「阿豆那比之罪」(男色=衆藤)として記述されていたようです。空海(弘法大師)が唐から持ち込んで日本に広めたようです。その後公家・僧侶・武家で流行して、主に上方で流行した。元禄時代になると江戸に入り江戸では陰間茶屋がビジネスとして流行りだして町人の間で流行した。これは上方では歌舞伎などの訓練場所があり美形の男子が沢山育成されていたからだそうです。あの俳人の松尾芭蕉も男色愛好者だったようです。西洋ではキリスト教の聖書に、恋人のいない男が羊と行う獣姦や父娘だけの家族が子孫を残すために父親に酒を飲ませて娘が父親と行う近親相姦のことが書かれています。これらは「してはならない」という事例なのです、結果としてこうした行為を啓蒙したことにつながります。
昔は避妊方法がほぼなく、また女性の妊娠出産は命懸けだったので。子供を作ることなくヤリたいなら男も開拓分野だったと。ヤラない恋愛に関しては何でもありだったようですね。しかしあらためて男ってのは性欲の奴隷なんだなと。
「男尊女卑だから男色になる」の意味がわからなくて好き😂
LGBTの人権が高まると女尊男卑(現代)になりますからね
@@maymeg6777それって百合好きには明るい未来が待ってるということですか!!!!?
@@藤やん-d1zポジティブで草
私もよく解らないんですが、ヰタ・セクスアリスには女性と寝る学生は「軟派」男色趣味の学生は「硬派」と呼ばれ、軟派は硬派に対し、肩身狭かったようですね。おなごなどと寝るのは軟弱者だ!みたいな意味合いだったのかな。確かに薩摩って男の洗濯物を女の洗濯物の下に干すと穢れるとか、女は雇い人と一緒にご飯を食べるとか、やたら男女の序列にうるさかったみたいですね😅これが江戸だと、女が圧倒的に少ない都市だったので、女性がめちゃくちゃ強い(じゃないと男は結婚出来なかったから)んですが…💧
女性が子供と同じ扱いでかつ子供は今では想像もつかないくらい人権の無い存在だった、なんなら脳みそ無い位の扱いだったからです。そして男が男らしさを誇示する世の中では男を愛する事こそが男らしさの象徴とされていたのです。
ぼくの祖父さんは堂本剛とか藤井フミヤみたいなイケメンだったから、海軍で先輩たちの弟分にさせられそうになって嫌だったそうな。そして、祖父さん自身は無類の女好きっていう悲劇www
うちの曾祖父も女大好きで腹違いの子が何人もいて遺産相続で大変もめたそうです。
有難う御座います。
若衆宿は三重にも有りましたね各地あった見たい
案外戦後暫くは若衆宿とかそういう祭りってあったんだよな。
「愛の処刑」という小説もあります。
プラトン、ソクラテス、ミケランジェロ、ランボー、アレキサンドロス、空海、後白河法皇、織田信長、男色を嗜む偉人を上げればきりがない。キリスト教的価値観がなければ、西洋でも東洋でも男色は普通に行われてきた。
そのまま、男色が流行していれば日本は現在のように女性が被害に遭うことが少なくなり男性も被害に遭う恐ろしさがわかったかもですね
かれこれ40年以上前、新宿の風林会館にあったサウナだったと思いますが、深夜に雑魚寝の仮眠室で横たわっていると、隣りで寝ている客との狭い隙間に角刈りのマッチョマンが割り込んできて、怪訝に思いながら眠りに就こうとすると、しばらくして毛布の下からマッチョマンの手が私の股間に伸びてきたのに驚き、慌ててその手を払いのけ、暗い場所ではヤバいとテレビの明りがある場所に移動すると、今度はオネエ・タイプの青年がすり寄ってきたのにゾッとして、急いで休憩室に退散したことがあります。そのサウナは二度ばかり利用したことがあり、普段は腰にバスタオル巻いて休憩室にいる客が、全員すっぽんぽんで闊歩している光景に、店に入った瞬間から異様な雰囲気を感じたものの、ホモが集う夜に紛れ込んでしまったと漸く気付き、寝たら何されるかわからないと、朝まで一睡もできませんでした。その時、それまで過剰反応と思えていた処女の男性に対する警戒心と恐怖心が、実感として理解できましたね。(笑)ただ、私自身はホモっ気がなくとも、オカマに偏見はなく、とりわけゲイバーで働くオカマの突き抜けた明るさは、むしろ、自分に一番正直で勇気ある生き方をしているとさえ思っています。
当時の肛門科も忙しかったかもね😂薩摩=男色は鹿児島人だけどはじめきいた😂兵隊さん達でもありそうだけどね
「しゅどう」じゃなくて、「しゅうどう」じゃないのですか?色々読み方があるのかな?
しゅどうでいいんじゃないですか?
いち個人として、やはり違うと思う。そんなことが当然である日はきて欲しくない。何でもかんでも破壊してくれるな!人間😭
現在って男色はタブーと言われるものなんですか?
この世の厄は男性の活動的すぎる性力が産み出しているにちがいない。覚醒剤で捕まった若い男性ミュージシャンとか刑務所でかっこうの餌食にされてそう。
まさに純愛
殺傷事件で一番有名なのは日本三大敵討ちで「鍵屋の辻」の前半部分なのだが、もうサラリサラリと流されて一番肝心な動機が何が何だか誤魔化される部分w
BL=男色って言うことを今日知った腐男子です☆
賤の苧環メリバなおにしょたBLで草
薩摩といえば西郷隆盛もお坊さんと心中しようとしたことありましたね
【チャプター】
00:00 オープニング
01:41 九州の学生の間では男色が普通だった?
04:25 硬派と賤の苧環
06:53 寄宿舎での蛮行
09:59 川端康成の男色エピソード
12:39 稚児を巡って殺人事件!?
18:33 大杉栄の男色エピソード
21:16 エンディング
鴎外が襲われそうになったことを父親に訴えると、「うむ、そのようなやつらがおる。気を付けねばならん」と驚かれもせず当然のように言われたエピソードが好き
失礼します。興味からうかがうのですが
なぜ鴎外が襲われそうになったことをお父様に訴えたのですか?
@@user-546f これは正確には自伝的小説「ヰタ・セクスアリス」の一節で十一歳ころの出来事ですが、訴えたとあるだけでその理由は書いていませんでした
マジ消えて良かった文化
ありましたね、その場面。(ヰタ・セクスアリスに)
男色趣味の学生は硬派、異性愛(女性が好き)な学生は軟派と呼ばれ、軟派の方が日陰者扱いで、硬派に対しコソコソしているというのも、読んで驚きましたっけ。
調べるまでに至った経緯がクソ浅いのに調べた内容はクソ深いの大好き
存在するのかしないのか、やおい穴の謎と世界(自分的にはやおいといえば矢追純一だけど)は深いwww。
クソしか出ない穴にまつわる話ですしね。。
男色文化は戦国や蔭間の紹介が殆どの中、明治以降の紹介はとても斬新でした。知らないエピソードも多く、大変勉強になりました。
明治になって西洋人が男色を「人間のすることではない」と否定したのに
今更になって日本に対して同性愛の人権を認めろとか上から目線で説教してくるの偉そうで嫌い。
カトリックなどのキリスト教的観念が強かった時代と、人権意識が強くなった現代で言うことが変わるのは当たり前です。
イエスズ会なんて日本の戦国時代には近年話題になったことをやってたのに?😂
まぢおもろ😂
同感です。昨年、カタールで開催のサッカー・ワールドカップでも西洋人(欧米)が猛抗議しました。その際、FIFA幹部の1人が「まず、欧米が謝罪すべき」という主旨の発言をしました。発言の真意はすぐ読み取れました。
一神教系、宗主国は相手に指図しがち、
日本みたく他国の価値観を取り入れようとはしないしね、
キリスト教圏は昔からそう
川端康成のエピソードは、彼の壮絶な生育歴、孤独と共に想いを巡らすと、また感触が違ってくる…😢
幼少期の孤独が美意識を磨いたんだよな
「男色は流行した」と説明されていますが、そうではなく「男色は男としての嗜み」であり普通のことでした。つまり若い男性にとっては「青春の門」で、その門をくぐって大人になれば普通に女性と結婚しています。また本編で、イメージ画像として、ヒゲ面の外人男性のゲイ画像が使用されていますが、男色とゲイとはまた違ったものとして認識されるべきです。
さらに、事件に結びついたエピソードを紹介されていますが、男女関係でも事件や事故は多いですよね。同じようなものです。
江戸時代の男娼は男女関係なく愛される存在だったから、決して男だけを対象としたものではなかったからね。
大奥好きな人には有名だけど、絵島事件とか調べたらどれほど男娼が江戸時代の民草に重宝されていたかがわかる。
ゲイというよりバイだよね
アメリカ人ですが、gayというのは英語のニュアンスでは日本語のオネエ、に近いです
@@maymeg6777じゃあ日本のゲイはどういう意味?おねえみたいな人ばかりではないんだけどゲイは トラスジェンダーは日本ではなんだ?
知ったかか?
@@みさき-x7s2t昔のゲイやバイの人がオープンできていただけだと思うけど笑 lgbtの割合は13人に1人と言われていて一定数どの時代にも普遍的に存在するんですよね 勿論昔の異性愛者は男としなかったと思うし 貴方がバイじゃないかぎり男としたいなんて思わないですよね?時代とか関係ないですよ ただ貴方が日本の昔の歴史をLGBTと結びつけたくないだけだと思います 昔から日本にはLGBTはありました それはどの国もどの時代にも 日本はマイノリティの方々を理解し認めていたが、キリスト教や西洋の差別の文化がきてタブーとなり、差別し始めたんです 昔の日本人は認めていたものを西洋人の思考により反対するおじさん達は皮肉ですよね 日本を守る?貴方達が西洋の考えに染まっているだけ
豊臣秀吉は衆道が全く理解出来ず真剣に悩んでいたそうですよ
有名な戦国武将で男色をしなかったのは秀吉だけ。織田信長はそのことを本気で心配し徳川家康に秀吉に男色を教えてくれるよう頼んだとか。
秀吉は武家の出身ではないから男色ではないという話を聞いたことあります
@@敷島の道路
有名って、サンプル何人ぐらいでしょうか…
@@大間薫夫諸説なかったっけ?農民の出だったり地元の豪族だったり親が足軽だったり
BL経験がある鴎外の娘がのちに至高のBL小説を書く事になるとは不思議な巡り合わせ。
枯葉の寝床 日曜日に僕は行かない
恋人たちの森
ああ、森茉莉さんの小説は耽美的で腐女子のバイブルでした😍
森茉莉は、もっと評価されるべきやわ!
彼女は,天才ですし。
女性になびかず、男色を嗜むことが「硬派」で「男らしい」…女性に興味を抱くのは上流階級の出ではないという認識でもあったのか。
昔は男色(男同士)、エス(女同士)が許されていたのに現代は許されていないの不思議よね。
キリスト教が入ってきて弾圧されたからね
本当、キリスト教って許さないのよね、厳しい
現代の男同士を毛嫌いする人にキリスト教関係なくね?
@@もちだもちもち-i8u
西洋の価値観はキリスト教がベース、それをインストールした日本の価値観には必然的にキリスト教的な要素が多くなっちゃうんだと思う、意識しなくともね
許されていない訳ではないが、好まない人は多くなった
川端康成が学んだのは「茨城中学」ではなく大阪の「茨木中学」(現在の大阪府立茨木高校)。若衆宿は全国的にあり薩摩だけではなく若衆宿=男色の場ではない。親など大人の目を気にせず若者が気軽に交流する場所。現代の深夜のファミレスや喫茶店で若者がダベってるのに近い。
男色が「流行」というより性生活の一部として普通にあったというべき。当時の学生で男色もするけど遊郭で女遊びをする学生も珍しくなかった。そして男色を経験した男性のほとんどが女性と結婚し子どもも作った。
かなりフラットに男色を紹介していて好感を持ちました。当時は不倫やAVなど逆に考えられなかったでしょうが、日本人の性というのは世間が許すなら割と何でもできてしまうものだなと感じます。
手が込んだ、非常に完成度の高い作品に脱帽です。歴史上の写真が多様されているところや字幕、引用参考文献、話のまとめ方に至るまで教養講座を見ているようで素晴らしかったです。大正時代までの男色文化は、キリスト教において男色が禁止されていたにもかかわらず横行していた、イギリスの寄宿学校のそれと似たところがあるように思いました。また、男女が隔離されたり男尊女卑が根底にある文化で男色の傾向が強いと仮定すると、男色が禁じられているイスラム教でも実は起こっていたるするのかな、と思いました。ありがとうございます😃。
イスラム教でももちろんありましたよ。オスマントルコが強大な力を持っていた時代は各地の小国から君主の子供達主に少年達を人質として集めて居ました。その少年の中に美少年がいれば稚児として可愛がって居ました。詳しくはドラキュラの元になったワラキアとオスマントルコの歴史を調べれば出て来ますよ🖐️
「平成、令和には男色の漫画が流行り世の腐女子が夢中になっていました。」って、未来で言われるようになるのかしらん。
昭和後期には腐女子はいたそうですよ
既婚者だしノンケだけど結構男同士で楽しんでるけどこんな感じかな
独特の楽しさがある
大変よく調べています。明治時代以降の男色についての文壇があまりないので、
貴重な動画になると思います。できればこのあとの昭和初期〜戦時中〜終戦直後の男色文化も
続編で作成していただきたい。
木下恵介監督も作品は名作が沢山ありますが、俳優さん(若い男優)を好んでいたのは有名です。昭和20~30年代の松竹の男優は美青年ばかり。
(誤)茨城→(正)茨木
川端康成は大阪の茨木市の学校です。川端康成館もあります。
素晴らしい動画でした。資料も少ないでしょうし、作成は大変だったと思われます。ありがとうございました。
明治に入ったら西洋化でキリスト文化入ってきて男色はなくなったみたいな解説が多かったのでびっくりしてます
そして今と変わらないような内容のBL本が既にその時代にあったことにも驚いてます
正確に言いますと、一応一度は欧米のソドミー法を真似、鶏姦律条例というの(肛門性交の禁止例)が発令されたこともあったんですよ(明治6年)。
でも「よく考えたら他人の房事に口出しするとか馬鹿馬鹿しいw」と思ったのか、何となくフワッと消えてましたw
明治13年に刑法が改められた時には、もうそれはカット。当然、その間、一人の逮捕者もいないままでしたw🤗
男同士女同士どっちでもいいけど未成年に手を出すのだけはやめよう😓法律はまもろう😣
@user-te7bz5hm3y 今も50歳はオジサンだよ😊昔は50歳はお爺さんかな〜(笑)
全くそのとおり。日本でも海外でも小児性愛は犯罪です!
未成年というか、同意無しは、法がなくても男女問わずやめてくれよ!と思います😥(昔の未成年の年齢解りませんし、14~15歳位で結婚する社会や時代もあったりするし…)
最後の大杉栄なんか「死んでよかった」「何十人の男女が、内心ザマアミロと拍手喝采しただろうか」としか思えない。政治的にどうの以前に凶悪強姦魔。イケメンだからそれがなんだと言いたくなります🤮
ロリ最高🤪🤪🤪🤪
男女もね。同意ないのとか、出来ない相手との性行為はやめとこって話だよ。
ヰタ・セクスアリスは7:39 男色小説ではなく、作者の性的生活を描いたもの
自分はそっちなのだけど。実際ゲイほど同性愛の歴史を知らない。特に明治以降の男色に関する話を知ってるゲイはほぼ居ない。
とても勉強になりました。
ぼくが知ってる明治の話に、南方熊楠が東京の予備校時代に寮生から手をどきされて、硬派や同性愛に目覚めて、
地元に帰った時に友達やその弟と寝たとか
その後イギリス留学中にオスカーワイルド事件に遭遇し、ショックで突如女性好きになった話とか好きです。
彼はかなり変わった人で
日記を毎日詳細に書く人だからそんな記録が残っているらしいです。
取り敢えず最後の大杉栄がむごたらしい最期を迎えたようで何より。
BL本が大昔からあったなんてたまげたなぁ
鹿児島の方言に『よかにせ(意味:男前、美青年)』という言葉がありますが、ここから来てたんですね…笑
「今ではタブー視されがちな男色」てのがそもそも時代に乗り遅れ始めている
中学5年生21歳。
すごい響き
最近BL漫画を読むようになったのでからの調べる熱量が凄いwww
そういえば昔、鎌倉のうたの中に「しずのおだまき 繰り返し かえせし人をしのびつつ」とあったのを意味を知らずずっと口ずさんでいました。
川端さん百合小説を書いていたのは知っていたが、まさかBLの方も手出してくれていたとは
民族学者・国文学者の折口信夫先生も同性愛で有名。
地元の鹿児島がそんな場所だったなんて… これイカツイ親戚に話してリアクション見たい😂
10:20 関東の茨城中学校じゃないよ。関西の茨木中学校だ。川端は関西人だからね。
北杜夫によると戦前の旧制高校の寮でも、それらしい行動がなされていたと書かれています。流行と言うよりその学校の伝統として残っていたように思います。
青春記にそんな記述がありますね…
江戸時代にはあったとは知っていましたがそれが昭和初期まで続いていたとは驚きでした。
もう少し自分の性的指向をオープンにできてそれが当たり前の事として受け入れられるようになれば良いと思うけど、男性達にとっては歴史の中でなんだかんだ今が一番良い状況だと思うし、これからもっと自由に楽になっていくと思う。
人によっては同性の上級生、同級生からも襲われる危険が常にある日常って怖いし、いつ自分がその状況になるのかわからないっていうのも嫌だな。
男の嗜みと称して同性への性犯罪が容認されていたり見逃されるような状況って普通に怖い。
女を目で追うだけでお前は男らしくないとレッテル貼りされる事も不自然。
性別問わず自分の意思のもとで自分の好きになった人と一緒になれるのが一番幸せだと思う。
寮生活が監獄並みの危険性あって怖かったです。
普通に口説いてそうなるならともかく、暴力や刃傷沙汰とか…。
男性寮?
怖い寮生活でしたね😱💦
男性の10代〜20代前半ってそうなりやすい傾向にありますよね。
そこに+同性間での性的なものが当たり前の時代を考えると今ですらそんな風に怖いのにこの時代を考えるとゾッとしました。
「おなごを目で追うなどけしからん軟弱者」って、つまり訳すると「女なんて見ないでよっ○○キュンが汚れちゃうよおぉ〜!!モホォ」
まあ、女性に対する性犯罪抑止になってた気がする穴に突っ込まれてるし。ジャニー喜多川が有罪にならない時代
すごく…嬉しいです…
鹿児島出身の男性、70歳以上の老人、寮生学校の男子校出身者に見てもらいたい動画ですね。
最近男色を知った blだと思えば日本史学ぶの楽しく感じるwww
100年後は「令和時代に日本各地で男色が流行していたことをご存じですか?」とか言われてそう。
ジャニーズ問題真っ最中。タイムリー過ぎる。
こういう歴史があるのに、何故、昨今は大騒ぎされるのだろう。
西洋の価値観が入ってきた反動じゃないですかね…同性愛に近いほどホモフォビアを起こしやすいのだとか聞いたことあります
ネットで自分の人生から目を逸らすために誹謗中傷したくて物申したい人が散見されるだけだよ 特に陰キャ
歴史から学んで今が在るからではないでしょうか?
なんだこれは…たまげたなぁ…
武田信玄もお気に入りの小姓がいたけど他の小姓と浮気してしまい、その時の謝罪の言い訳お手紙が発見されてますね。kawaii❤
子供が12人もいた信玄…妻たちも小姓の存在を当たり前にしてる時代
「わいさっきおいらが着替えちょっ時、チラチラ見ちょったじゃろ」
「見てないどす…」
「嗜み」っていうけど結局性欲発散も多いよね
あ、この手の話大好物ですよ
台記、雨月物語、好色五人女などなど記録や小説に残っているだけでも日本では平安時代から衆道は普通でした。
江戸時代は藩によっては衆道禁止の藩(会津藩)がありましたが、その理由は刃傷沙汰が多発するから。
鍵谷の辻の決闘の原因も衆道のもつれが原因ですし。
白蓮事件の時も大騒ぎになった理由として、柳原伯爵と白蓮が大正天皇のいとこにあたる、ということには触れておくべきだと思いました。
キリスト教が入ってきて
日本の男色は抑圧されたと聞いた覚えがある
いいえ、皆さんキリスト教のせいにされる様ですが「男色ゆる百合含むLGBTをタブー視する中国韓国人やナチスドイツの儒教思想及び優生学」を真に受けた弊害です
・平安時代に大陸を通して「異性愛異性婚が当たり前でそれ以外の恋愛がタブー視する風潮や日本人の国民性を形成した論語及び朱子学」の儒教思想が浸透(男色、ゆる百合のみ昭和初期まで黙認されていた)
・戦時中〜戦後に、ナチスドイツの優生学(同性愛はけしからん、避妊手術の対象)的な学問が常識になってから男色、ゆる百合すらだらしない事と世間から認識される様になってから白い目で見られる様になりLGBTの人達が生きにくい世の中になった(未だに同性婚制度が制定されない、いじめと誹謗中傷の的になるのが何よりの証拠)
鴎外のケースは学生同士ですね。
今だと中1と高3あるいは大学生年代が、同じ学び舎で学んでいた状況です。
硬派な上級生からの、欲望の入り混じった一方的•独善的愛情とあるべき倫理観の相剋。
けど、乱暴なやり方を止めようとする良心的な先輩もまたそれなりにちゃんといるのが、見方によっては今よりもずっと良質でもある。
明治時代の学生の欲望と高い倫理観が同時に垣間見えます。
ちなみに、暴力的リンチで殺されたり、自殺に追い込まれたりするような、今の学校だって十分怖い。
かたや、今の学生の倫理観はどうだろう。
むろん、鴎外みたいに、護身用にナイフを持ち歩きたくなるような時もあるかもしれない。
つまりあれか
昔は普通に学校付近で制服とか着物着てその上に帽子かぶってるスタイルの美少年同士の男色が見れたってこと....?最高では...?
その昔、QJで夏目漱石の坊っちゃんがBLモノだとの考察がありました。
薩摩の男色の原因?や気風は、古代ギリシャや古代中国のそれと似ていますね。面白いです。
学生間のいざこざ、想像以上に凶暴で野蛮で驚いたけど、妊娠した傷物になったと騒ぎになってしまう女性相手とでは重さが違ったのかな。
と、思っていたら後半で女性相手にも容赦なし人物出てきた。
まあ、性格ですかね。
現代なら単なるゴーカン魔やんけと思うけど、夜這いも当たり前の時代でしたもんね。
昔のイスラム社会でも美少年に化粧をして華やかな衣装を着せ、腰を激しく振るダンスを踊らせてその後···という世界が一部にあって問題視されていたようです。
かつて、日本全国にあった暗闇祭り。
戦前や戦後しばらくは、町の明かりを全て落として真っ暗な中、若い男達は、女装をして着飾ってでかけたり、誰彼構わず手を出しまくったりしてたそうです。
けど、本物の女性は、あえて好奇心の強い人はともかく、隠れていたのでしょうか。
しかしまるで、現代の同性愛者のクルージング場みたいですね。
普段は犯罪とされる事でも、お祭りの日の夜だけは、神社の境内では罪に問われない。
そういう不文律もあったのではないかと思います。
もっとも、戦後はガラが悪くなるにつれて、女の取り合いをした青年団のグループ同士が日本刀を持って衝突し、刃傷沙汰とかも起きる様になったそうですが。
川端康成が出た中学校は、茨城ではなく、茨木中学校です。
サムネの真ん中の写真は何て調べたらでてきますか!?うつくしい!!
恋文を高校の作文として提出されるの嫌すぎる
英国のイートン校でもそのような事が!
ヒュー・グラントの映画に有りますよね
森鷗外のヰダ・セクスアリスは性的生活が描かれた小説ではあるが、決して男色がテーマではない。さらりと記されているだけ。きちんと読んでほしい。
なんと、タイムリーな笑
川端康成の時代に女生徒の間ではエス小説というのが流行し、これで有名だった女流作家吉屋信子は秘書の門馬千代と恋愛関係にあり、添い遂げたらしいので、女性同士の愛にも緩かったんでしょうね。川端康成も「乙女の港」というエス小説を弟子の中里恒子と共に書き上げていますね。宝塚などの少女歌劇団の男役に夢中になる少女達の様子もこれらエス小説には沢山書かれています。
同性愛については、正直昔の方が現在より遥かに緩い感じしますね。ただ「本意ではなかった」人も沢山いたでしょう。武者小路実篤も下級生を性的に襲う上級生を何とかせねばと男子寮小説で書いていて、当時でも「同意のない男色」は問題だったのだろうと感じました。
また、女性で同意無しの性暴行被害を受けた経験ある身から言いますと、大杉栄は殺されるべくして殺されたに過ぎない人間だと思いました。
九州の方ってまだ男尊女卑が強いって聞きますよね〜
実際どうなのか分かりませんが
どんな美少年を見ても生涯を通じて何も感じたことがない自分には異世界の架空の話というくらい信じられない事実でした。
サムネの学生2人イケメンすぎる〜
学生の間で流行る……閉鎖的な寮という環境や先輩後輩の上下関係もあるんだろうけど10代という年齢からしても行きすぎたテストステロンの暴走といった印象を受ける
流行と言われると、流行り
みたいに思えて違和感。どっちかと言うと習慣よね
追伸:1960年代〜70年代にかけて実際に連続男色強姦事件がありました。犯人はすでに1980年代半ばに死刑になっています。事件の内容は小中学生の少年を手籠めにして殺してしまうという凶悪事件ですが、犯人は戦時中、陸軍の年少兵で新宿の戸山陸軍軍楽隊に所属していたらしい。軍楽隊は儀仗兵でもあるので美形の男性ばかり集められたらしいのです。この事件犯人が凶悪事件を起こすきっかけは、やはり軍隊内での男色経験から来ているのでは?と推測するのです。くわしい事はわからず・文壇も出ていないのでぜひ調べていただいきたい。
今LGBTQなど性的マイノリティーを守ろう!みたいな活動が多く見られるけれど、日本ってこういう文化があるからか私は、今更何を…??と思っちゃうんですよねぇ…笑
とはいえざっくりとしか知らなかったので男色文化をこんなに知れて面白かったです!
日本の男色文化は日本書紀にも出てきますからね
日本のLGBTはキリスト教や欧米の文化が来てからタブーになったんですよね
昔の日本人は理解し認めていたものを、欧米の思考に染まり、日本の伝統を守ろうなんて皮肉ですよね😂
@@miyu-jl5kr へー、そんな前からあるんですね!もはや日本人のDNAに刻まれてると言っても過言ではないかもしれませんな!笑
@@はな-n7o7w 宗教って歴史的に見て多くの人たちを統制するためのツールですもんね。そんなツールのせいで、文化を行ったり来たりさせられて…たまったもんじゃないですよね😂元々色んな面で寛容な人種だったろうに…ほんま皮肉です。
いいえキリスト教が伝来する前から
・平安時代に大陸を通して「異性愛異性婚が当たり前でそれ以外の恋愛がタブー視する風潮や日本人の国民性を形成した論語及び朱子学」の儒教思想が浸透(男色、ゆる百合のみ昭和初期まで黙認されていた)
・戦時中〜戦後に、ナチスドイツの優生学(同性愛はけしからん、避妊手術の対象)的な学問が常識になってから男色、ゆる百合すらだらしない事と世間から認識される様になってから白い目で見られる様になりLGBTの人達が生きにくい世の中になった(未だに同性婚制度が制定されない、いじめと誹謗中傷の的になるのが何よりの証拠)
腐女子ほいほいな腐ったお話は好物です(´・ω・`)
LGBTQなんて今更って感じですね😂
男色と言えばいわゆるオカマのイメージしか有りませんでしたが昔にこんな世界が有ったとは驚きでした。面白いお話ありがとうございます。女学校でも女色みたいな物が有ったのかも気になります。
女学校には「エス」という百合みたいな関係がありました
返信、ありがとうございます。女学校でも同じような事があったんですね。 宝塚なんか表に出せない話有りそうですね😅
@@伸之助-u7k 宝塚は事故がありましたね
@@user-Loverhythm0429 やっぱり、そうですか😂
男らしい男色家もいっぱいいるよ、気づかないだけで
ジャニーさんがこの時代に生まれたら問題なかったんですよね。
大人が小中学生に手出してるからこの時代でもたぶんアウトなのでは?
次は明治時代から昭和時代までのレズ物の紹介する動画を作って下さいどうかお願いします。🙇♀️
吉屋信子の花物語とか瀬戸内寂聴さんの女学生時代の話とかが近代の少女同士のレズビアンの話ですよ。当時の女の子は卒業後、親の決めた相手と結婚するものなので、基本的には学生時代の限られた時間の刹那的な恋愛だったのですが、吉屋信子は卒業後も女学生時代の恋人と歩む道を選んだようです。21世紀の女学校ものは、全部これらの実話を元にした少女小説が土台となっていると思われます。
エス小説(百合小説)作家の吉屋信子は門馬千代という秘書の女性と添い遂げましたね。そちらもなかなかに楽しそうです。
また谷崎潤一郎の「卍」なども、少女小説とは違った女性同士の恋愛の官能的な一面を見せてくれますね。
武士の同性愛関係の理屈は古代スパルタのそれと似ているなあ。
慶応の教授、国学院講師の歌人、折口信夫は男色家で弟子や書生の中からパートナーを求め、その気のない弟子を別荘で襲ったそうだ。
参考:加藤守雄著 我が師 折口信夫
まさに、三田の色魔。
子供の頃からどっぷりとBLに浸かってだ私にはとても大好きな話
でもさぁ、女の事さぁ、下に見るのって腹立つわぁ
女のお腹から産まれたのになぁって
女のお腹というより母のお腹だな。母を女としてみるな
@@maymeg6777あんたの母が女だった過去があるから父と営んであなたは産まれたわけだけど……?母を女としてみるな、とは?
人間の価値観は社会的なルールで変わってしまうんだなあ
性被害にあう女性が減るだろうから良いことだ
アニキ〜キクのお礼にバラをあげるよ〜(笑)
ゴールデンカムイで鶴見がモス父上の尻をタオルでバシンしてた部分があってギャグくらいにしか捉えてなかったけど
2:03 見て『…アレ?』って宇宙猫状態になった。
自分は断固党だったのか、、
多様性の世の中になってきてるから、再び男色が認められる時代にならないかな💜
僧侶が女人禁制だったから稚児を抱いたから常に痔だったとか、寺の病の造りで痔という漢字が成り立ったとか眉唾話は聞いたことある(真偽を調べるほど興味なかった)
そりゃ、「病ダレ」に「寺」と書いて「痔」と読むのは、そのものズバリでしょ!😅
日本書紀にもすでに「阿豆那比之罪」(男色=衆藤)として記述されていたようです。空海(弘法大師)が唐から持ち込んで日本に広めたようです。その後公家・僧侶・武家で流行して、主に上方で流行した。元禄時代になると江戸に入り江戸では陰間茶屋がビジネスとして流行りだして町人の間で流行した。これは上方では歌舞伎などの訓練場所があり美形の男子が沢山育成されていたからだそうです。あの俳人の松尾芭蕉も男色愛好者だったようです。西洋ではキリスト教の聖書に、恋人のいない男が羊と行う獣姦や父娘だけの家族が子孫を残すために父親に酒を飲ませて娘が父親と行う近親相姦のことが書かれています。これらは「してはならない」という事例なのです、結果としてこうした行為を啓蒙したことにつながります。
昔は避妊方法がほぼなく、また女性の妊娠出産は命懸けだったので。子供を作ることなくヤリたいなら男も開拓分野だったと。ヤラない恋愛に関しては何でもありだったようですね。しかしあらためて男ってのは性欲の奴隷なんだなと。
「男尊女卑だから男色になる」の意味がわからなくて好き😂
LGBTの人権が高まると女尊男卑(現代)になりますからね
@@maymeg6777
それって百合好きには明るい未来が待ってるということですか!!!!?
@@藤やん-d1z
ポジティブで草
私もよく解らないんですが、ヰタ・セクスアリスには女性と寝る学生は「軟派」男色趣味の学生は「硬派」と呼ばれ、軟派は硬派に対し、肩身狭かったようですね。おなごなどと寝るのは軟弱者だ!みたいな意味合いだったのかな。
確かに薩摩って男の洗濯物を女の洗濯物の下に干すと穢れるとか、女は雇い人と一緒にご飯を食べるとか、やたら男女の序列にうるさかったみたいですね😅これが江戸だと、女が圧倒的に少ない都市だったので、女性がめちゃくちゃ強い(じゃないと男は結婚出来なかったから)んですが…💧
女性が子供と同じ扱いで
かつ子供は今では想像もつかないくらい人権の無い存在だった、なんなら脳みそ無い位の扱いだったからです。
そして男が男らしさを誇示する世の中では男を愛する事こそが男らしさの象徴とされていたのです。
ぼくの祖父さんは堂本剛とか藤井フミヤみたいなイケメンだったから、海軍で先輩たちの弟分にさせられそうになって嫌だったそうな。そして、祖父さん自身は無類の女好きっていう悲劇www
うちの曾祖父も女大好きで腹違いの子が何人もいて遺産相続で大変もめたそうです。
有難う御座います。
若衆宿は三重にも有りましたね
各地あった見たい
案外戦後暫くは若衆宿とかそういう祭りってあったんだよな。
「愛の処刑」という小説もあります。
プラトン、ソクラテス、ミケランジェロ、ランボー、アレキサンドロス、空海、後白河法皇、織田信長、男色を嗜む偉人を上げればきりがない。キリスト教的価値観がなければ、西洋でも東洋でも男色は普通に行われてきた。
そのまま、男色が流行していれば日本は現在のように女性が被害に遭うことが少なくなり男性も被害に遭う恐ろしさがわかったかもですね
かれこれ40年以上前、新宿の風林会館にあったサウナだったと思いますが、深夜に雑魚寝の仮眠室で横たわっていると、隣りで寝ている客との狭い隙間に角刈りのマッチョマンが割り込んできて、怪訝に思いながら眠りに就こうとすると、しばらくして毛布の下からマッチョマンの手が私の股間に伸びてきたのに驚き、慌ててその手を払いのけ、暗い場所ではヤバいとテレビの明りがある場所に移動すると、今度はオネエ・タイプの青年がすり寄ってきたのにゾッとして、急いで休憩室に退散したことがあります。そのサウナは二度ばかり利用したことがあり、普段は腰にバスタオル巻いて休憩室にいる客が、全員すっぽんぽんで闊歩している光景に、店に入った瞬間から異様な雰囲気を感じたものの、ホモが集う夜に紛れ込んでしまったと漸く気付き、寝たら何されるかわからないと、朝まで一睡もできませんでした。その時、それまで過剰反応と思えていた処女の男性に対する警戒心と恐怖心が、実感として理解できましたね。(笑)
ただ、私自身はホモっ気がなくとも、オカマに偏見はなく、とりわけゲイバーで働くオカマの突き抜けた明るさは、むしろ、自分に一番正直で勇気ある生き方をしているとさえ思っています。
当時の肛門科も忙しかったかもね😂
薩摩=男色は鹿児島人だけどはじめきいた😂兵隊さん達でもありそうだけどね
「しゅどう」じゃなくて、「しゅうどう」じゃないのですか?
色々読み方があるのかな?
しゅどうでいいんじゃないですか?
いち個人として、やはり違うと思う。そんなことが当然である日はきて欲しくない。何でもかんでも破壊してくれるな!人間😭
現在って男色はタブーと言われるものなんですか?
この世の厄は男性の活動的すぎる性力が産み出しているにちがいない。覚醒剤で捕まった若い男性ミュージシャンとか刑務所でかっこうの餌食にされてそう。
まさに純愛
殺傷事件で一番有名なのは日本三大敵討ちで「鍵屋の辻」の前半部分なのだが、もうサラリサラリと流されて一番肝心な動機が何が何だか誤魔化される部分w
BL=男色って言うことを今日知った腐男子です☆
賤の苧環メリバなおにしょたBLで草
薩摩といえば西郷隆盛もお坊さんと心中しようとしたことありましたね